2005年04月01日
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注意力欠如特質(Attention Deficit Trait:ADT)は、インターネットを使うと馬鹿になる(?)という「インターネット知の欠陥」の別名なのか!?

Written By: 川俣 晶連絡先

 以前に、インターネット知の欠陥というアイデアに関するメモ Version2を始めとして、いくつかの文章を書きました。

 そこで述べた「症状」と酷似する「症状」の存在を示す記事を見つけたので、ここにメモっておきます。

 その記事とは以下のものです。

 語り手は以下のような人物です。

Dr. Edward Hallowellは、過去10年以上にわたって注意力欠如障害(Attention Deficit Disorder:ADD)の研究を続けてきた精神科医だ。同氏はADDに関連して発見した別の問題--注意力欠如特質(Attention Deficit Trait:ADT)と同氏は呼ぶ--が今、企業社会のなかで大流行しつつあるという。

 ここで問題にされるADTの概要は以下のように述べられています。

 ADDの一種と言えます。ただし、ADTは現代生活の結果生じるものです。つまり、あまりに多くの情報がありすぎて、それを受け入れたり処理したりすることに忙殺されるため、気が散ったり、イライラしたり、衝動的になったり、落ち着きを失ったりすることが増えます。また、そんな状態を長く続けていると、仕事の成果も上がらなくなります。別な言い方をすれば、一度にたくさんのことをやったり、あるいはやろうとするために、効率が犠牲になるとも言えます。お手玉で、自分が扱える数よりも1つ余計に玉をさばこうとしているようなものです。

ADTの兆候 §

 ADTの兆候として、Dr. Edward Hallowellは以下のように述べています。

 たとえば、自分の潜在力を十分に出し切って仕事をしていない。本当はもっと生産的になれると思いながら実際には生産性が落ちている。仕事の結果が示すよりも自分は利口だと思う。人からの質問に、普段よりも薄っぺらな言い方で性急に答える。新しいアイデアが枯渇する。仕事の時間が延びる一方で、睡眠時間は短くなる。、身体を動かすことも少なくなり、友人と一緒に過ごす自由時間も減る、などが考えられます。一般的には、仕事にかける時間が増えていながら、逆に全体的な成果は少なくなっている状態と言えます。

 箇条書きにまとめ直してみます。

  • 自分の潜在力を十分に出し切って仕事をしていない (本当はもっと生産的になれると思いながら実際には生産性が落ちている)
  • 仕事の結果が示すよりも自分は利口だと思う
  • 人からの質問に、普段よりも薄っぺらな言い方で性急に答える
  • 新しいアイデアが枯渇する
  • 仕事の時間が延びる一方で、睡眠時間は短くなる
  • 身体を動かすことも少なくなり、友人と一緒に過ごす自由時間も減る
  • 一般的には、仕事にかける時間が増えていながら、逆に全体的な成果は少なくなっている状態

 これらの点が、私が過去に書いてきた話と非常に似ていることを以下に示します。

自分の潜在力を十分に出し切って仕事をしていない (本当はもっと生産的になれると思いながら実際には生産性が落ちている) §

 私が問題意識を抱いた切っ掛けの1つは、なぜ彼らは知的な後退現象を示しているか、ということです。もともと馬鹿だから馬鹿で当たり前、という話ではなく、かつてはもっと賢かった筈の者達まで、賢さの後退を示しているという印象が背景にあります。つまりは、彼または彼女の潜在的な能力の水準で結果を出していないことへの疑問です。

 その点で、この指摘は酷似しているという印象を持ちます。

仕事の結果が示すよりも自分は利口だと思う §

 私の書いた文章の中で、自らが取った愚かしい言動に自ら気付くことができない現象について触れたものがあります。そのような現象は、まさにこれと合致する特徴となります。

 いかに歴然とした結果が出ようとも、自分の愚かさに起因するとは思わず、自らの賢さを確信し続けるという類型は確かにあると感じます。

人からの質問に、普段よりも薄っぺらな言い方で性急に答える §

 コンテキストを認識せず、言葉に対して反射的にリアクションすると書いたことがありますが、そのような態度を取ると、表面的には「薄っぺら」かつ「性急」と見える可能性が大きいと思います。

 そういう意味で、同じことについて言っている可能性が高いと感じました。

新しいアイデアが枯渇する §

 Linuxのような、技術的にあからさまに時代遅れのソフトウェアを、この先の長期間の未来を支える唯一のOSとして採用しうるという考えのおかしさはどこかで書いた気がしますが、これなどは「新しいアイデアの枯渇」と表裏一体でしょう。

 未来永劫、Javaだけあればみんな幸せになれるという発想も同じです。もっと良いものが生まれ、Javaが淘汰されていく可能性について考えられないのも、「新しいアイデアの枯渇」と表裏一体でしょう。

 また、「新しい」という言葉が否定されるということは、時間の感覚が消失する「無時間性の問題」と、それと関連する「コンテキスト性の希薄化」とも関連します。(コンテキストとは時間によって変化する事象、つまりは因果関係に関連する概念であり、時間感覚が消失することはコンテキスト性の希薄化を招く)

仕事の時間が延びる一方で、睡眠時間は短くなる §

 これは、良く分かりません。主にインターネット上に表出する言説からは、個々の人間の行動までは読み取れません。

身体を動かすことも少なくなり、友人と一緒に過ごす自由時間も減る §

 これも同様です。

一般的には、仕事にかける時間が増えていながら、逆に全体的な成果は少なくなっている状態 §

 一般論は評価できませんが、インターネット上に表出する言説の生産性についてのみ考えれば、時間を掛けて読むに値する文章の数は、おおむねこの5年程度のスパンで考えると減少傾向にあると感じます。そのような言説の生産に関わる時間が増えていることは、その生産量から見て間違いのないことですが、それがもたらす成果は逆に減少していると感じられます。

 逆説的に、そのような状況の認識が、「インターネット知の欠陥」のような「考える活動」の発端となっています。

 そういう意味では、ADTの問題と私が問題意識を持つ対象は基本的に同じであると考えて良いのかも知れません。

ADTでは説明できない問題 §

 私の抱える問題の全てがADTと関係しているわけではありません。

 箱男の問題などは、ADTとは異なる別の問題として認識されるべきかもしれません。